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BGM: I'll Never by Back Steet Boys
湯布院の近くにある金鱗湖畔にあるペンション「豊の国」に宿泊し、翌朝、湖畔を散歩しました。
金鱗湖のご紹介
− 3日目(18日) −
熊本−阿蘇−湯布院の旅
(平成15年8月16日〜18日)
私たちが泊まったペンション 「豊の国」
ペンションの朝食
湖に流れ込むお湯の川・・
茅葺き屋根の建物は、公衆浴場(温泉)です。
湯布院の街からは由布岳が見える。
湯布院から別府へ戻り、別府から大分まで高速道路を走り、
その後佐賀関港までいくことになった。
湯布院から佐賀関までの風景・・・
湯布院の街・・
フェリーからの風景・・
写真は・・
佐賀関港 乗ったフェリー
フェリーの中
佐賀関港
佐賀関の港に到着したのは午前11時の2分ほど前だった! 船は・・・
待っていてくれるではないか・・・
急いで乗船手続きを行い、乗せてもらった・・
「ああ、電話いただいた方ですね〜」などと、のんびり・・・・・私たちは、危険を冒してですね、
あの狭い道で、前を走る嫌がらせ同然の低スピードバイクを追い越して来たのですぞ〜
しかし・・・私たちの後から、さらにゆっくりと乗ってくる車があった・・・
うちの車と、そのゆっくりした車との2台を乗せてもらって・・
フェリーは四国、佐田岬半島の三崎町へ向けて出航した。午前11時10分頃
大分市内の道路標識
佐賀関港まで国道197号線をひたすら走った。
フェリーは11時発三崎行き。
何としてもこの時間に間に合うように行かねばならないのだが、道が渋滞していてスピードが出せない。この次の船は午後1時までないのだ!
湯布院の人に聞いたら、1時間半ぐらいで佐賀関に行けるとのことだったが・・・
間に合いそうもない雰囲気・・ なのに、前にはのろ〜いバイクが、道の中央をゆっくり走っているではないか・・ 道はカーブばかりでとても追い越せない・・・
しかし、旦那は頑張った・・あんたはエライ! ここぞというときに、アクセルを急発進して、みとごバイクを追い越したのである・・その後はスピードも十分だったのだが、佐賀関の港に電話して、
「11時ギリギリになりそうだから、出航するのを待ってくれ〜!」
と懇願したのだった。
佐賀関港を出港して、しばらく行くと、海面に霧が立ちこめていた。霧の中を進むうちに、次第に霧は晴れ、すれ違う船が見えた。そのあと、徐々に四国、佐田岬の灯台が見えてきた。
★ 動画1 ★ 佐田岬半島が見えてきたところ
★ 動画2 ★ 漁船と並んで走っているところ
★ 動画3 ★ 漁船が後ろから追い越して行くところ
甲子園では夏の高校野球が行われており、船の中で滋賀代表の近江高校の試合の様子を見ていたのだったが・・・残念ながら、負けてしまった。
三崎町の港が見える
佐田岬の灯台
松山の市内を一望できる風景・・(伊予灘SAより)
遠く瀬戸内海に浮かぶ島が興居島でとんがって見えるのが興居島の小富士と呼ばれる山(282m)である。
大洲から松山自動車道へ
昔はもっと田舎だったのに・・なんと高速道路が走るような都会になったのか・・
私が松山に住んでいたのは昭和41年から46年までの6年間・・今から30年も前のことだからな〜
八幡浜から、松山・大洲方面に向かった。
三崎町から佐田岬半島を八幡浜に向かって走っていると右手に三机湾が見えてくる。ここはハワイの真珠湾と地形が似ており、戦時中、日本空軍が真珠湾攻撃の練習に用いたというところである。
こんな、のどかなところで、そんなことが行われていたとは・・・
三崎町から保内町まできて、保内町宮内の看板が目に入った。保内町宮内といえば高校時代の恩師が住んでおられたところである。残念なことに、昨年、亡くなられてしまった。まだお若いのに・・残念でならない。当時、松山東高等学校で生物の先生をしておられた。その後、松山東高校の校長になられたとき、京都で開催された同窓会に参加されていた。あのとき・・私は忙しくて、行けなかった。先生から年賀状をもらって、「会いたかったです」って書かれているのをみて、「この次には是非、先生に会いたい」と思っていたのに・・・その願いも空しく・・・もう、二度と会えない世界に旅立だれたのだった・・・
保内町宮内・・この看板が何故こんなにも強烈に私の目に飛び込んできたのだろう・・・急にあたりを見回して、先生のお宅を探している自分がいた。・・・先生は・・・こんな、のどかなところに、暮らしておられたのだ・・・穏やかに・・・ミカン畑に囲まれた・・この自然一杯の土地で・・最後を送られたんだ・・・そう思うと、なんか・・涙が出てきてしまった・・・残念である・・・せっかく、ここまで来れたのに・・・・会いたくても、もう、会えないなんて・・・
・
三崎町〜八幡浜〜大洲(松山自動車道)〜松山〜石鎚SA〜川之江
川之江(徳島自動車道)〜板野〜鳴門〜淡路島〜明石海峡大橋〜帰宅
写真右は「大鳴門橋」
鳴門から淡路島へ、渦潮で有名な鳴門海峡にかかる吊り橋である。全長1629m。この橋の橋げたあたりに渦ができるのだが・・
大学時代、何度も渦潮観光には行ったが、大きな渦潮が見えたことは少ない。観光船に乗って、渦のそばまで行って見せてくれるが、直径10mぐらいの渦潮がいくつもできては消える様は豪快なものであった。この日の海面はとても穏やかで、渦潮を見ることはできなかった・・
昔は、こんな立派な橋もなくて、ここは渦潮をよけながらフェリーボートで約30分かけて渡っていたんだけどな〜
松山道を川之江まで走り、そこから徳島自動車道を進んだ。吉野川沿いに徳島平野まで山間の道を進んで行く。昔はここも、ほんとうに田舎だった。大学時代、地方演奏会で、各地の小中学校をまわったことを思い出す。脇町の小学校の体育館で寝泊まりして、歌いまくったよなあ・・。
あの頃は・・・JRの鈍行列車に乗って、ゆっくりと四国三郎吉野川の流れを見ながら、時間のかかるのどかな旅ができたのだけど・・
あっという間に、板野町まで来てしまった。
徳島市内に出なくても、板野町から鳴門へ行く道に出ることができるので、ここで徳島道を降りて、一般道を通り、また鳴門へ向かう自動車道へ入った。 途中、高松方面と鳴門・神戸方面に別れる分岐点があった。これを鳴門方面に向かって進んでいった。
松山道、石鎚SAより (写真右)
ずっと、瀬戸内海が一望できるはずであるが、この日は霞がかかっていて、ぼ〜っとしか見えない。
昔は、11号線を松山から、桜三里を越えて、西条まで苦労して来たものだったが、松山道が開通して、あっという間に西条まで来てしまった・・・
この後ろには、石鎚山系の険しい山々が並んでいる。この日はあいにく霧がかかっていて、よく見えなかったが、懐かしい四国の山々なので、なんとか撮影した。スライドショーの中に紹介しましたのでご覧下さい。
明石海峡大橋
淡路島をあっという間に通り過ぎると、最後は明石海峡大橋を渡って神戸へ。
阪神高速は混み合うので、北神戸から三田の方へ向かう高速道路を通って、中国自動車道に出て、帰ってきた。
淡路島の風景
最近では、明石海峡大橋と大鳴門橋を渡れば、本州から四国へすぐに渡れてしまう。
昔は、本州から淡路島のあちこちへフェリーで渡り、淡路島の中をゆっくりと走りながら鳴門へ向かったものだ。淡路ではたまねきやキンセンカの花がとても印象的だった。
今は、橋げたの一部になってしまったんだろうな・・淡路島・・・もう一度ゆっくりまわってみたい・・あの頃を思い出して・・・
大鳴門橋から見える夕焼けの空・・(左の写真)
少し雲が出ていてあまり美しいとは言えないが、雲間から差す光が海面に反射して光っているのがとても美しかった・・・
最後にもう一度、四国の三崎町から明石海峡大橋までの風景をスライドショーで、ご紹介します。
今回の旅は私の実家の両親と7人で出かけましたが、最後に両親を宇治の実家に送り届け、京阪宇治駅のそばにある「函館市場」というお寿司屋さんで、みんなでお寿司をいただきました。美味しかったです。
旦那と私はビールを飲んだので・・ここから自宅までは長女が運転し、次女が助手席に陣取ることになりました。私たち夫婦と三女は、後ろでゆったりと寝ながら(はらはらしながら?)滋賀の自宅まで無事、帰ってまいりました。